夢幻恋奏

第四話 家族(2)

 アステルマを再び訪れたのは、一か月後のことだった。
 『花見鳥』でパーティーを開くことはすぐに決まったものの、準備もあったし、カノンの家族だけでなく、セオドアやノアの仕事の都合もあったしで、なかなかすぐには行けなかったのだ。早く行きたい、と、子供達がごねたのも道理のことで、カノン達大人達は、そんな子供達を、まあまあと宥めて寝付かせる日が続いた。
 そしてやっと都合がついた日、カノン達は、やっと、子供達も含めた全員で、アステルマへ汽車に乗って向かったのだった。
 一か月前のセシルとバーバラと同様に、初めて汽車に乗った子供達――ミラ、メイ、ベル、リンは、大はしゃぎだった。こんな大きな乗り物が動くなんてすごい、と、ミラが感心したのに、カノンは思わず笑ってしまった。
 アステルマの駅に着いてからも、子供達は大はしゃぎだったので、カノン、セオドア、セシル、バーバラ、エリーは、どこかへ行ってしまってはぐれることのないよう、それぞれ手を繋いでいたが、『花見鳥』に向かう途中で、ちょっとした出来事があった。
 この村で一番の巨体を誇るトニーが倒れているところに遭遇したのだ。
 『花見鳥』へ向かう途中で、ちょっとした人だかりがあったので、どうしたのだろうと、セオドアが人だかりの中の一人に声をかけてみると、トニーが倒れているとのことだった。トニーは上にも横にもとにかく大きな身体の殿方だ。カノンの父や兄と同じ大工でもある。どうやら仕事の途中で、休憩をとっていたのだが、その休憩が終わり、仕事に戻ろうと立ち上がったところで、急に倒れたらしい。
「トニーの奴、あの身体だろう? 何人がかりで運ばねえといけねえし、普通の担架じゃ、担架のほうが壊れちまう。だから今、近くの家に、でけえシーツがねえか、聞きに行ってるところなんだよ」
「それは大変だねえ」
 そう相槌を打ったセオドアは、ノアを振り返った。それでノアは察したらしい。小さく溜め息を落とすと、「カノン、頼む」と、繋いでいたリンの手をカノンに渡した。リンも大人しくカノンの空いている方の手と繋いだ。
 セオドアも、繋いでいたメイの手を「セシル、頼むねえ」と、セシルに渡すと、ノアと一緒に人だかりをかき分けて、倒れているトニーのもとに近寄った。
「あれ、セオドア? 何を」
 意識はあるらしいトニーに声をかけ続けていた村人が、セオドアに気づいたが、次の瞬間、あんぐりと口を開いた。
 無理もない。なぜなら、彼を含む村人たちの目の前で、自分の四倍はあろうかという巨体のトニーを、ノアは軽々と背負って持ち上げたのだ。
「病院はどこだ」
「こっちだよ。みんなは先に行ってて。後で行くから」
「はい。気をつけてくださいね」
 背負われたトニーも目を点にする中、ノアとセオドアとカノンはそんなやりとりをかわし、カノン達はそこで二人と別れた。
 トニーの周りに集まっていた村人達は呆然として、そんな三人をそれぞれ見送ったのだった。
 その後、やっと『花見鳥』に着いたカノン達だったが、そこでもちょっとした出来事が待ち受けていた。『花見鳥』では、カノンの結婚を知った、カノンも顔馴染みのある村人達――おばさまたちが集まって、ごちそうを作ってくれていたのだが、なぜか、おばさまたちと同じくらい、カノンの同世代の殿方も集まっていたのだった。カノンが不思議に思ったところで、殿方達のうち何人かが、早速、セシルにメンチを切った。
「お前がカノンの旦那か?」
「違います」
 カノンとセシルの声が重なった。
「ああ? じゃあ、どこにいるんだよ」
「トニーが倒れていたので、彼を病院に運んでいるところなんです。そう焦らなくても、後から来ますよ」
 殿方達がいるのは、ノアを一目見るためか、と、納得しながら、カノンがそう返すと、殿方達は思い思いのことを言い出した。
「お前はセオドアとできてるもんだと思ったのに」
「そうだよ。ジャンも、セオドアだったらしょうがないって言ってたのに」
 どうやら、カノンが結婚したことが納得できないようだった。どうしてそんなにいろいろ言われないといけないのだろう、と、右から左へ聞き流していると、バーバラがカノンの前にずいと進み出た。
「しょうがないわねぇ。そんなに納得できないなら、ノアの代わりに、あたしが勝負してあげるわ。腕相撲でね」
「ああ? 勝負? 馬鹿言え、そんな細い腕で俺達に勝てると?」
 セシルに真っ先に因縁を吹っかけてきた殿方が鼻で笑ったが、バーバラのほうが一枚上手だった。
「あら、もしかして、あたしに負けるかもしれないって、怖いの?」
 殿方達はそれであっさりとかちんときたようだった。
 店の隅にテーブルを移し、更に二客の椅子をテーブルの前につけ、ちょっとした勝負場を設けると、早速腕相撲大会が始まった。
 カノン達はそちらには目もくれず、一か月前と同じように、カウンターの席にさっさとついた。
「あら、みんな、見ないの?」
 オリビアが不思議そうに聞いてきたが、子供達は、それに素直にうんと頷いたのだった。
「うん。だって、どうなるか、分かり切ってるしね」とメイ。
「うん。バーバラが勝つに決まってるよねえ」とベル。
 ねえ、と、子供達の中で一番下のリンも頷くのを見ても、オリビアは半信半疑の様子だったが、すぐに驚きとともに納得したようだった。なぜなら、バーバラに果敢にも腕相撲を挑んだ殿方達が次から次へと散っていったからだ。
 バーバラに腕相撲を挑んだ殿方達が十人以上を数えた頃、ノアとセオドアが来た。店の中に入ったノアは、とても怪訝そうな顔でバーバラの後ろに死屍累々と倒れる殿方達を見やった。
 一体何がどうなれば、こんなことに――と、無言でものすごく訝るノアに、挑戦してくる殿方がいなくなったので、手持ち無沙汰になったバーバラが声をかけた。
「あ、おかえり、ノア。ちょうどよかった。あたしと腕相撲してよ」
「急になんだ」
「だって、あたしより強い人がいるって言っても、あの人達、信じてくれないんだもん」
 あの人達、と、バーバラは、ちょうど彼女がついているテーブルの向こうにいる殿方達を示して見せた。彼らもバーバラに腕相撲を挑んだ殿方達の友人や親戚なのだが、友人の無念を晴らす勇気はないようだった。全員、恐ろしそうな顔で、バーバラと、床に倒れている殿方達を交互に見やっている。
 バーバラのその言葉で、ノアは色々察したようだった。
 床に倒れている殿方達を呆れたように一瞥してから、仕方なさそうにバーバラの向かいの椅子に腰を下ろす。
「そうだ、ノア、あたし、両手を使ってもいいよね? あんた相手だったら、そのくらいはしてもいいでしょ」
「別に構わんが」
「よし」
 バーバラが両手を使うと言い出したことに、無事だった(?)殿方達は、更に震え上がったようだったが、その後のバーバラとノアの勝負に、ますます震え上がる羽目になった。
 バーバラは左手でテーブルを強く掴み、右手でノアの右手を倒そうとしたが、ノアの右手はぴくりともしなかった。それどころか、バーバラの全力が込められた右手を、ゆっくりとテーブルに倒していった。
 あっさりと負けたことに、バーバラは軽く唇を尖らせた。
「あー、やっぱり負けた。なんでそんな力あるのよ」
「そう言われてもな」
「ま、それもそうよね。これであの人達も納得したでしょ。よし、食べよ」
 あっさりと切り替えて、妹達と同じカウンターの席について、やっとごちそうにありつけたバーバラを、呆れたように一瞥してから、ノアも、テーブルから離れると、カノンの隣に当然のように座った。
 オリビアが運んできてくれた水を一口含んでから、ノアはぼやいた。
「お前が来てから、あいつらのやることは、予想がつかなくなってきたな」
 カノンは思わず笑った。
「いいじゃないですか。それだけ、自分の気持ちに素直になることができているってことですよ。平和な証拠です」
 カノンは、自分の横で、オリビアやおばさまたちが運んできてくれた色々な料理をおいしそうに食べる子供達を見やった。みんな笑顔で、とても幸せそうだ。
 こんな光景は、三百年前では、見られなかったし、考えられなかった。
「今日が平和で何よりです」
 カノンのその言葉に、ノアも頷いた。
「そうだな」
 あ、ノアが笑った、と、ベルが言ったのを耳聡く聞き取ったセオドアが騒ぎ始めたため、その後、ひと悶着あったのは言うまでもない。
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