夢幻恋奏

第三話 再会(4)

 カノンが来てから二日目の朝、バーバラは食堂で動き回るカノンをそれとなく観察していた。
 昨日の夕方、セオドアは、新しい人を連れてくるからと言った通り、カノンを連れて帰ってきた。その時、バーバラは妹達と一緒に屋敷の裏庭で遊んでいたが、妹が一人、戻ってこなかった。そのベルを、ちょうどセオドアと一緒に来たカノンが一発で見つけてきた。
 だからか、ベルは、朝、カノンに真っ先に抱き着いていた。
 バーバラ達は、以前、訳ありの施設にいたため、初対面の相手には警戒するという悲しい癖がある。ただし、末の妹であるリンは、施設を出た時、まだ赤ん坊だったため、バーバラ達のように悲しい癖はない。末っ子によく聞くように、大の甘えん坊に育った。
 それなのに、ベルは、昨日のことを覚えているのか、部屋から出て食堂に来て、朝食の支度をしているカノンを見るや否や、「カノン、おはよう」と、躊躇いなく抱き着いたのだった。
 そしてカノンも、そんなベルの頭を優しく撫でた。
「あら、おはよう、ベル。これからみんなで朝ご飯を食べましょうね。お皿を並べるのを手伝ってくれる?」
「うん」
 ベルは素直に頷くと、早速カノンの手伝いを始めた。
 ベルの後からやってきた子供達――ミラ、メイ、リン、そしてバーバラも、身の回りのことはなるべく自分達でやるようにしようと、ポルナレフ家に保護された直後に決めたので、カノンに言われるまでもなく、配膳などをこなしていった。
 その日は珍しく、食堂に来たのはノアとセシルが最後だった。
 そう、珍しいことだった。いつもなら、ノアが真っ先に食堂に来て、食事の支度をしている。セシルも一緒にいることが多いのだが、彼によれば、「ノアより早く起きられたことはないよ」だそうだ。もっとも、ノアがいつも早起きするのは、早起きしているからではなく、夜に眠れないからだということを、セシルもバーバラも知っている。何せ、同じ施設で寝起きしていたのだ。男女別々という概念も、以前の施設の管理人にはなかったようで、同じ部屋に押し込まれていた。どこまでもろくでもない施設だったが、そのおかげで、セシルもバーバラも、ノアが夜に眠れたことがほとんどないことを知っている。
 しかし、それがどうだろう。今朝はなぜか、嫌な夢を見たと言わんばかりの表情を浮かべながら、いつもの席についていくではないか。
 ノアのそんな様子を見るのは初めてだった。
 セシルにとっても同じはずで、その証拠に、「ノア、昨夜は眠れたの?」と、小声で聞いていた。それにノアが「ああ……黒い飲み物のおかげでな」と、呻くように返したのを、バーバラは確かに聞いた。
「黒い飲み物?」
 思わぬ答えだったのだろう、セシルがちょっと驚いたように瞬いたところで、セオドアがやってきた。セオドアの耳にも、セシルの声が届いていたのだろう、小さく噴き出すのが見えた。
「黒い飲み物か。カノン、久しぶりにあれを作ったのかい?」
「ええ。必要そうだと思いましたから」
「それは災難だったなあ、ノア」
 気の毒そうに言いながらも、その顔はとても楽しそうだ。親し気にノアの肩を叩いてくるセオドアの手を、ノアはしかめっ面になりながら、叩き落としていた。
 セオドアにおはようを言いに、彼のそばに寄ったリンが、不思議そうに彼を見上げた。
「くろいのみものってなあに?」
「ああ、カノンの家の伝統の体力回復の飲み物だよ。病気になった時によく作ってくれるんだ。ただし、味は保証できない」
 近くでそれを聞いたメイがちょっと嫌そうな顔になった。
「……あんまり、飲みたくないかも」
「そうだね。だから病気にならないように気を付けよう」
 ノアのようにしかめっ面になったメイを宥めるように、彼女の黒い髪を優しく撫でてから、セオドアはリンを抱き上げ、空いている席に着いた。
 今日の朝食はパンと薬膳スープだ。といっても、朝食だけは、毎日ずっとパンとスープと決まっている。毎日三食の献立を考えるのは大変なのでと、ポルナレフ家からやってきた二人の侍女が、朝だけはずっと同じ献立にしようと決めたのだった。ただし、スープだけは、毎日変えているので、結局、毎日三食の献立を考えているようなものだ。
「今日のスープは彼女が作ってくれたんですよ」
 ポルナレフ家からやってきた二人の侍女のうち、若いほうの寮母的存在であるエリーがそう話してくれた。
 全員が席に着いたところで、いただきます、と、合掌してから、早速スープを一口、口に含んだバーバラは、泣きそうになった。めちゃくちゃおいしかったからだ。泣きそうになるくらいのおいしいものを食べたのは初めてだった。
 それはここにいる全員も同じようで、カノンの隣に座ったベルなどは、「すごくおいしい!」と、素直に称賛の声を上げていた。「わたしも、これ、すき」と、ベルの隣に座っているメイも、目を輝かせながら、せっせと、スープを口に運んでいる。
「お気に召したようでよかったです」
「ねえ、カノン、これ、おかわりある?」
「あります。でも、あまり急いで食べたらだめですよ。のどに詰まらせてしまいますから」
「うう、だって、おいしいから」
「あらあら」
 カノンにたしなめられたベルだったが、食べたいという欲求には逆らえないようで、スープを一口口に運んでは、次の分をせっせと口の中に入れるという動作をせわしげに繰り返す。そんなベルの手を止めさせ、口の周りが汚れていますよ、と、カノンが苦笑しながら、ベルの口の周りをナプキンで拭いてやる。
「バーバラ……なんで泣くの」
「だって、おいしい……うう」
 向かいにいるセシルに呆れられたが、出るものは出るのだから仕方ないと、バーバラは目元を拭うこともせず、ベルと同じように、せっせとスープを口に運んでいた。
「カノンは料理がうまいからねえ。これからの食事には期待できると思うよ」
 リンにねだられるまま、彼女の分のスープを、彼女に食べさせながら、セオドアがそう言った。
 それを聞いたセシルが、手を止めて、隣に座るセオドアを見やった。
「それで、彼女を連れて来たんですか?」
「それもある」
 セオドアがカノンを連れてきた理由は、それだけではないだろうと、セシルにもバーバラにも分かった。けれども、それ以上、セオドアが話すつもりがないことも分かるので、セシルはそれ以上追求しなかった。
 ノア。セオドア。カノン。
 本当に、この三人には何があるのだろうと、バーバラは、皿の底に残ったスープを飲み干しながら、思った。
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