夢幻恋奏

第三話 再会(6)

 ポルナレフ家の離れのひとつである屋敷に来てから、一ヶ月が経った。朝と夜が冷え込むようになり、そろそろ訪れる冬に備えて準備しなければならない時期になった。学校も今日から休みということで、今日からしばらくの間は、セオドアもバーバラも一緒に冬支度をすることになる。
「よし、やってやるわぁ」
 そう言って、最初に出て行ったノアに続くようにして、意気揚々と外に出ていったのはバーバラだ。赤茶色の髪は癖が強いので、いつも後ろで高くひとくくりにしてまとめている。そばかすが少しある顔立ちは、「子供達の中では一番気が強い」と、セオドアもエリーも太鼓判を押す性格を表すように、輪郭がしっかりしており、橙色の瞳には強い意志が宿る。彼女が肩に抱えていったもの――小ぶりな斧を見て、カノンは目を丸くした。
 そんな彼女に、セシルが苦笑しながら話しかける。
「びっくりしたでしょ? ぼくもここで暮らすようになってから知ったんだけど、あの子、すごく力持ちなんです」
「そう、力持ちなの」
「ノアには負けるけどね」
 セシルに続いて、外出の準備を終えた双子がカノンにじゃれ付きながら、歌うように言った。
 セシルは銀色の髪を丁寧に切り揃えており、その下にある明るい空色の瞳はとても穏やかだ。「子供達の中では一番賢いだろうね」と、セオドアが評する通り、セシルの顔立ちは穏やかだけではなく、知的な雰囲気を持っている。
 双子――メイとベルは、どちらも黒い髪に黒い瞳を持つ。遠い東の国の人種の血が流れているのかもしれないね、とは、これもセオドアの言だ。流石双子と言ってもいいくらいに同じ顔だが、中身は全く違う。メイはしっかり者で、いつもはきはきと動き回るが、ベルはそのほとんど反対――おっとり屋で、のんびりと動く。ただし、双子の意外なところは、いざというとき、メイが凍り付いて咄嗟には動けないのに対し、ベルのほうが反射的に身体が動く。
 ベルには更に、もう一つ、意外な特技があった。カノンの特徴が耳がよく聞こえることなら、ベルは鼻が利くことだった。そう、ベルは鼻がとてもいいのだ。カノンがここへ来た最初の日に、ベルを見つけた時、ベルは眠っていたのだが、その時にカノンのにおいを覚えたらしい。次の日の朝に一番に抱き着かれたことに驚いたカノンだが、後から聞いてみれば、「においで覚えたから」ということだった。その隣で補足してくれたメイによれば、「相手が怒ってるとか、嬉しいとか、そういうことも、においで分かるみたいなんです。あと、悪い奴かどうかってことも」だそうだ。だから、カノンのことも、子供達の中で一番早くに、信用できる人だと分かったようだ。
「落葉拾い、どっちがいっぱいできるか、勝負しよう、ベル」
「メイが勝つと思うけどねえ」
「よし、行くよ!」
 バーバラと同じように張り切るメイだが、ベルは眠気が残っているようで、眠そうにぱちぱちと瞬いた。それでも、ふんと大きく息を吐き出して外に出て行ったメイの後にのんびりと続いた。
「怪我をしないように気を付けてくださいねえ」
 そんな二人の背中に声をかけたカノンに、「行ってきます」と、セシルも、普通の手袋ではなく、怪我防止のために作られた、しっかりとした革の手袋をはめた手を振りながら、外に出ていく。
 セシルとバーバラは薪割り、メイとベルは、薪を長く持たせるため、薪代わりの燃料、つまり落葉拾いだ。四人は長い冬を越すための燃料調整役である。
 残りの人手――セオドアとエリー、ミラは、食料調達に行くことになっている。エリーは、自分ではなくカノンが行ったらどうかと、遠慮がちに辞退しようとしたが、それをセオドアとカノンが止めた。
「カノンは耳がいいからね。人が多いところになんかに行ったら、ぶっ倒れるよ」
「セオドアの言う通りです。昔、一回、オリビアに引っ張られて、大きな街に行ったことがあるんですけど、いろんな音が聴こえるせいで、倒れてしまって」
 ずっとこんな田舎にいたら、腐ってしまうわ、と、オリビアのよく分からない理屈で、大きな街に商品を納めに行く父と兄についていくことになったのだ。オリビアも一緒に来たのは、父と兄が仕事で客のところに行く間、カノンと一緒にいる人が必要だからということだった。
 しかし、その先で、カノンはあまりの人の多さと、それゆえに耳に入ってくるたくさんの音を処理しきれず、めまいを起こして倒れたのだった。熱も少し出たようで、慌てたオリビアは、泊まっていた宿の部屋でカノンを介抱した。そのことを知った父と兄も仕事を早く切り上げて帰ってきてくれ、その日のうちに村に帰ったのだった。
 それ以来、カノンは人が多いところには行かないようにしている。
 そういうわけで、今日の食料調達も、セオドアとエリーとミラで行くことになったのだ。
「じゃあ、留守を頼んだよ、カノン」
「おいしいお菓子を買ってきますから」
「はい、いってらっしゃい。ミラも、二人の言うことをちゃんと聞くんですよ」
 外出支度を済ませたセオドアとエリーとミラが玄関に来たので、カノンは笑顔で彼らを見送った。セオドアとエリーも笑顔で返してくれたが、ミラは遠慮がちに手を振ってくれただけだった。
 ミラは「子供達の中で一番臆病な子」とセオドアが評した通り、人見知りで臆病な性格だ。バーバラと対照的に、まっすぐで癖のない金髪に、セオドアよりも淡い緑色の瞳を持つ。髪と同じように金の眉毛はいつも垂れ下がっており、臆病な性格を表しているようだった。子供達の中でも、懐いてくれるのが遅い子だったな、と、カノンは思う。それでも二週間も経てば、笑顔を見せるとまではいかないものの、挨拶や言葉をかければ、何かしら反応を返してくれるようになったのは、大きな進歩だろう。
 もっとも、最後まで警戒を解かなかったのは、庭で早速薪を割り始めているバーバラだった。
 カノンは廊下の窓越しに、セシルが運んできた丸太を次々と割っていくバーバラを見つめる。
 以前、彼らがいた施設は、〈クモ〉を育てるための施設だった。それだけではなく、女の子は、年頃になったら、若い娘を好む貴族に売られていたという。そんな施設にいれば、嫌でも、周りの大人に不信を抱くのは無理もない。
 彼らがこうしてのびのびと暮らしていられるのは、ひとえに、ノアが彼らを連れて逃げたからだ。ノアがいなければ、〈クモ〉は絶えることもなく、バーバラ達も、いずれはろくでもない貴族に売られていただろう。
 セシル達はとても幸運な子達だと思うと同時に、ノアよりも前にいた子供達はどうなっただろう、とも思ってしまう。ノアよりも以前から、あの施設にいた子供達もいたはずなのだ。〈クモ〉は代替わりする前だったというから、おそらく、男女にかかわらず、貴族に売られたのだろう。彼らは一体、どうなったのか。生きているのか、それとも――。
 カノンは頭を振った。
 今ここにいない子供達のことを考えても仕方がないと、自分にも今日やる仕事があるのだと思い出し、最初に洗濯物を片付けようと、足の向きを変えたその時だった。
 がたり、と、音がした。
 それは本当に小さな音だったが、耳のいいカノンにははっきりと聞こえた。
 カノンは一瞬、雷に打たれたように立ち尽くしたが、我に返るのも早かった。弾かれたように走り出した。
 音がしたのは、カノンがつい今しがたまでいた玄関とは反対の方向、裏口のあるところだった。裏口で誰かが倒れるような音だった。
 裏口へと向かってみれば、果たして、そこには、左肩を押さえてうずくまるノアの姿があった。
「ノア!」
 一目で左肩にひどい怪我をしていると分かった。何しろ、袈裟斬けさぎりのように、カノンから見て、左側から右側へ、斜めに斬られているのだ。服の布も切れているせいで、その下の傷口――内側の肉もはっきりと見えた。
 カノンは息を呑んだが、判断も行動も早かった。
「ノア。肩を貸します。医務室に行きましょう。そこで傷を縫います」
 どうして怪我をしたのか、おそらく、かつて、ノア達を虎視眈々と狙っていたどこぞの貴族に雇われた者が襲ってきたのだろう。以前にも、二度ほど、夜にカノンがノアの部屋を訪れた後、ノアが「見回りだ」と外に出て行ったことがある。二度とも無事にノアは帰ってきてくれたが、ならず者が必ず夜にやってくるとも限らないのだ。ノアが無事に帰ってくることも。
 ノアはカノンの言葉に素直に従い、カノンの肩を借りて医務室まで歩いた。
 カノンはノアをベッドに座らせると、服を脱ぐように指示した。ここでもノアは素直に従い、カノンから受け取った脱脂綿を傷口に当て、血を吸わせた。
 しかし、縫合の準備を終えたカノンに、「麻酔はいい」と、ノアは首を横に振った。
「正気ですか? とても痛いんですよ。麻酔を打った方が」
 カノンは、村にいた頃、土砂崩れで怪我人がたくさん出た時、医者の手伝いをしたことがある。その時に覚えておいた方がいいからと、麻酔の注射の打ち方や、傷口の縫合の方法を教えてもらったのだ。
 それでもノアは頭を振った。
「麻酔を打てば、効いてくるまでに時間がかかるだろう。さっさと縫った方が早い。構わないから縫ってくれ」
 カノンは躊躇ためらった。
 麻酔が足りなくなり、それでも縫合が必要な患者が運ばれてくると、医者は、村の屈強な男達を集め、患者の身体を押さえつけさせた。そうでもしなければ、患者が暴れて、縫合どころではなくなる。それほど、麻酔なしの縫合の苦痛は想像以上のものなのだ。
 カノンの背を押したのは、ノアだった。
「早くしないと、妹達に気付かれる。いいから」
 カノンは意を決し、「せめて、これを噛んでてください」と、ノアに口の中に詰めるための清潔な布を渡した。ノアがそれを口にしたのを確認してから、カノンは一息にノアの傷口に針を入れた。
 縫合にはさして時間がかからなかったはずだが、カノンにはとても長く思えた。ようやく縫合が終わった頃には、もうすぐ冬だというのに、全身にじっとりと汗をかいていた。
 その間、ノアは悲鳴どころか、呻き声一つも漏らさなかった。大した精神力だと称賛するべきか、忍耐力をつけすぎだと呆れるべきか、カノンには分からなかったが、どちらどころでもなかった。
 カノンが、顔に流れた汗を拭いながら、血に濡れた縫合針と脱脂綿を片付けている間、ノアは涼しい顔で、慣れた手つきで傷口に包帯を巻いていった。
「……慣れているんですね」
「訓練でよく怪我したからな」
 訓練、と聞いて、カノンはそれ以上聞いていいのかどうか迷った。訓練というのは、〈クモ〉になるための――暗殺のためのものだろう。怪我をすることも、当然あったはずだ。怪我の治療に手馴れているのも、そのせいだろう。
 ノアは服を着ようと、ベッドの上に放り投げた服を手に取ったが、その服が自分の血と返り血とで汚れているのに気づいて、ふうとため息を落とした。
 着替えてくる、と、汚れた服を手に部屋を出ようとしたノアを、カノンは呼び止めた。
「服は置いていって下さい。ちょうど、これから洗濯しようとしていたところなんです。ついでに洗っておきますから。それと、もうひとつ」
 カノンは満面の笑顔を見せた。
「セオドアに怒ってもらうのと、もう怪我しないように気を付けてもらうようにわたしがお願いするの、どちらがいいですか?」
 ノアが何を考えたのかは、金色の髪――その前髪から覗く漆黒の瞳からは分からないが、答えを返すのにそう時間はかからなかった。
「……気をつける」
「そうして下さい」
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