夢幻恋奏

第三話 再会(10)

 気が緩んでいた、というより、あちらの方が一枚上手だった、というべきか。
 〈クモ〉候補として育てられたノアやセシル、バーバラ達を諦めきれない、ろくでもない貴族が差し向けて来ただろう無頼者達は、過去にも同じようにノア達を狙った無頼者達が仕事を遂行できなかったことを知っていたのだろう。そのため、馬鹿正直に襲うことは賢明ではないと判断したのか。ノア達が暮らす屋敷を囲む林に長時間身を潜めて、隙を狙っていたとしか思えなかった。そうでなければ、耳のいいカノンでも、いきなり動き出しでもしなければ、相手の動きを知ることは難しい。しかも、子供達と一緒に庭で遊んでいる最中なら、尚更だった。
 子供達とかくれんぼしている時に、本当に不意をつかれて、後ろから顔を掴まれたかと思うと、そこでカノンの意識は途絶えた。
 けれども、次に目を覚ましたのは、見覚えのある部屋だった。
 しかも、自分の寝ているベッドに両腕を置いて、その上に頭をのせて寝ている子供が二人――メイとベルがいるというおまけつきだ。
 瞬くカノンに、「起きたか」と声をかける者があった。
 双子を起こさないようにそろりと上半身を起こすと、カノンは部屋の壁のそばに置いた椅子に腰を下ろしているノアの姿を認めた。着替えたのか、朝に見たのとは違う服になっている。無頼者とやり合ったのだとカノンは悟る。
 めまいや気分が悪いなどはなさそうだ、と、気を失う前に嗅がされた薬の副作用がないことを確認してから、カノンは気になったことを聞く。
「ああ……どのくらい寝てました?」
「そんなには寝ていないな。他のみんなは、食堂で夕食を食べてる。この二人だけは、カノンが起きるまで待ってる、って、この通りだがな」
「ああ、じゃあ、他の子はみんな無事だったんですね」
 ほっと安堵の息をつくと、ノアに冷たい視線を向けられた。自分が攫われそうな目に遭っておいてと言わんばかりの視線だったので、カノンも反論できず、ベッドの上で小さくなる。
「あの、すみません。でも、ノアが助けてくれたんでしょう? ありがとうございます」
「ああ」
 服が変わっていることで、カノンは、ノアが今回は無頼者を追い出すだけでは済ませなかったことも察した。
 だからカノンは、腹を割って話すのは今だと、ベッドの上で姿勢を正した。
「アーサー」
 びくりとノアが反応したのが分かった。
 双子が眠っているのが幸いだったな、と思いながら、カノンはノアをひたと見つめてから、頭を下げた。
「あなたに会いに来るのが遅くなってすみません。セオドア――セドリックは、生まれた時から、三百年前の記憶があったそうですが、わたしは、ついこの前まで、ずっと思い出せずにいました。でも、そのかわりというか、ずっと夢を見ていたんです」
「夢?」
「ええ。どこかの部屋の隅で、女の人が一人、泣いている夢です」
 ノアが小さく息を呑むのが分かった。
 カノンも頷いて続ける。
「そうです。三百年前のわたし――リィリィが、泣いている夢でした。物心ついたころからずっと、繰り返し、見ていたんです。どうして同じ夢をずっと見るのだろうと、あの女の人はどうして泣いているのだろうと、ずっと不思議でした。でも、今なら分かります。あれは、三百年前の、わたしの記憶の一部だったのだと。やけくそで酒を飲んで、見事に二日酔いになった時に、ようやく思い出しまして」
「……やけくそで酒?」
 心底怪訝そうに聞いてくるものだから、あまり詳しく話したくないカノンは、なんとかそこからノアの興味をそらそうと、「成り行きです」と誤魔化した。「成り行き?」と、ノアはまだ怪訝そうだったが、カノンが言葉を繋ぐと、それ以上は追及しなかった。
「その後、セオドアから、三百年前、リィリィがいなくなった後のことを聞きました。セオドアがあなたを探していたことも、あなたが今どうしているかも」
 セオドアから自分のことを聞いたと聞いて、ノアは痛いところを突かれたように、一瞬、眉を寄せた。ノアが〈クモ〉候補として、暗殺術を叩き込まれたこと――それは、彼にとっても、胸を張れないことなのだろう。
 だが、カノンは、それを否定するつもりはない。むしろ――。
「ノア。あなたは前の施設で身に着けたことを、セシルやこの子達を守るために役立てていますね。わたしも今回、それで助けられました。バーバラも言っていましたよ。あなたがこの子達をあの施設から連れ出してくれなければ、悲惨な目に遭っていただろうって」
 バーバラが感謝していたと伝えれば、意外だったのか、ノアが瞬いた。
「あなたはあなたが思っている以上に、この子達のお兄さんとしての役目を果たしています。だからこそ、あの施設で亡くなった弟達のことを忘れられないかもしれませんが」
 図星だったのだろう、ノアの顔が一瞬だけ強張った。
「バーバラも、あなたが幸せになろうとしていないことを心配しています。あなたには感謝しているから、幸せになってほしいと思っていると聞きました。セシルも、他の子達も――そして、セオドアも、わたしも、そう思わないと思っていますか?」
 ノアの手が強く握り締められた。
「……俺は、人を殺した。これからも、たぶん、必要なら」
 カノンも頷いた。
「ええ。知っていますし、それでいいと思います。だからといって、幸せになったらいけない理由はないでしょう。少なくとも、わたしは、そう思います」
 カノンは双子を起こさないよう、双子とは反対側からベッドを降りると、ノアの傍に寄った。身体を固くしたノアに構わず、ノアの強く握り締められた手を両手で包み込む。
「あなたのしていることは、誇っていいことですよ」
「……誇る?」
 思わぬ言葉だったのだろう、ノアの少し驚いたように見開かれた瞳がカノンに向けられた。
 カノンは頷いて、にこりと笑って見せる。
「そうです。誰かのために――守りたいと思う人のために、辛いことに耐えるのは、誇ってもいいことです。いえ、誇るべきことだと思います。あなたはこの子達を守るために、辛い体験に耐えてきた。そして、その辛い体験で身に着けたことを、今もこの子達を守るために使っている。とても素晴らしいことです」
 そして、できることなら――。
「あなたが幸せになること。それが叶えば、この子達ももっと幸せになれる。そう思いませんか?」
「……幸せに」
「そうです。この子達と一緒に幸せになる。それがこの子達にとっての、一番素敵な、お兄さんとしての手本になる」
 そこでカノンはちょっと苦笑した。
「できることなら、三百年前も、わたしは、あなたにそう言うべきでした。幸せになってほしいって。残念ながら、それが願える状況ではありませんでしたが。でも、セオドアも言ったでしょう? 今は、三百年前とは、状況が違う。戦争も起きていないし、幸せになろうと思えば、幸せになれるんですよ」
 おそらく、ノアが幸せになろうとしていないのは、三百年前のことも引っかかっているからだろう。あの施設で命を落とした弟達のことを忘れられないのもそうだが、助けたはずのリィリィを助けきることができなかった。それが引っかかっているのなら、もう、解放されてもいいはずだ。
 だから――。
「ノア。今度は、ちゃんと、幸せになりましょう。一緒に」
 どうか、ノアの心に届いてほしい。
 カノンがノアの目をまっすぐに見つめて、その願いとともにそう言うと、ノアの瞳から、一筋、こぼれるものがあった。
「……ああ」
 ああ、確かに、彼に届いたのだ。
 心底から安堵すると同時に、カノンは思わずノアを抱きしめていた。
 ノアも、遠慮がちにではあるが、そろそろと、カノンの背中に腕を回した。
 やがて、ベルが起きたようで、「あれ? カノン、どこ? あ、ずるい。わたしもまぜて」と、カノンを探したベルが、寄り添う二人にくっついてきた。ベルにつられるようにして目を覚ましたメイも、仲間外れになりたくないと思ったのだろう、おっかなびっくりではあるが、そろりと仲間に加わった。
「……あったかいな」
「ええ、あったかいです」
 双子の温もりを感じながらのノアの言葉に、カノンも笑顔で同意した。
「セオドア……なんで泣いてるんですか」
「うう、だって、お兄さんは今、めちゃくちゃ嬉しいんだ……うう」
 扉の向こうからそんなやり取りも聞こえてきた。おそらく、様子を見に来たセオドアが、扉越しにカノンたちのやりとりを聞いて、すべてを知ったのだろう。セシルも一緒なのは、もしかするとカノンたちの分の食事を運んできたのかもしれない。
 しあわせだなあ、と、カノンは思ったのだった。
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