夢幻恋奏

第三話 再会(11)

「本当に懲りないねえ。この雪の中、ご苦労なことだ」
 やれやれ、と、小さく笑いながら、愉快そうに頭を振って見せたセオドアを、ノアは呆れの眼差しで、セシルとバーバラは緊張の面持ちで見つめた。カノンはと言えば、セオドアに全くもって同感だった。
 カノン達が今いるのは、屋敷の外側――林から死角になる雪だるまの裏側だった。カノンが無頼者に攫われそうになった後、本格的に雪が降ってきたので、はしゃいだ子供達が庭で雪だるまなどの雪像をいくつかこしらえたのだ。リンも小さな手でせっせと小さなウサギを作ったので、十以上はある。その中で大人でも屈めば隠れられそうな雪像の裏に隠れているのだった。
 というのも、今夜もまた、子供達が寝静まった頃に、屋敷の周りに無頼者がやってきたからだった。それも一人や二人ではない。ゆうに十人以上はいる。
 最初に気付いたのはカノンだった。
 ノアの部屋で、ノアと同じベッドでうつらうつらと舟をこいでいたカノンだったが、その耳にいつもとは違う音が聞こえると、ばっちりと目を覚ました。
「ノア」
 囁き声でノアを呼ぶと、「何人だ?」と、すぐに返ってきた。どうやらノアも、カノンと同様に気付いたらしい。ノアの場合、耳ではなく、殺気や敵意に敏感だから、それで気付いたのだろう。
 十人以上はいますね、と、カノンが返すと、ノアはすぐに行動を起こした。明かりをつけぬまま、滑るようにベッドから降りると、カノンにも同じように促した。
「バーバラを起こしてくれ。流石に人手がいる。俺はセオドアとセシルを起こしてくる」
「わかりました」
 そして二人は二手に分かれて、セオドア、セシル、バーバラを起こし、裏口の前で理由を説明し、ノアの指示で庭に移動し、それぞれ雪像の前に集まったのだった。  ランタンなどの明かりらしい明かりは持っていないが、今日は珍しく雪が降らず、晴れた日だったので、空には今は星が輝いている。その星の明かりで十分だった。
「カノン。前に頼んだものはできたか?」
「ええ。セオドアにお願いして、ポルナレフ様に作ってもらいました。ちょうど、今日、できあがったそうです」
 無頼者達に聞こえぬよう、ここでも囁き声で話しながら、カノンは懐から、屋敷の中から持ってきたものを、雪の上にのせて、ノアのほうへと滑らせた。この数日間、雪が降り続けたため、地面の上には既に足首までの高さまで雪が積もり、固まっている。その上を滑ってきた包みをノアが受け取り、手の上で広げると、ノアがよく使う武器が出てきた。ただし、ノアのいつもの武器とは違うところがある。
「この溝は?」
 切っ先とは反対のほう、底側には丸い空洞があり、そこから切っ先まで細い溝が続いている構造になっている。カノンがポルナレフにお願いしたのはこれだった。特別なつくりにしてもらうため、ポルナレフがひいきにしている金具の店に頼んで作ってもらったのだ。
「相手の身体に刺せば、その先から注入できる仕組みになっています。ちなみに中にはもう入れてありますので、そのまま使えます」
「中に入ってるのは」
「一週間ほど、身体が痺れて動けなくなる程度の毒です」
「十分だな」
「お役に立ててよかったです」
 まったく表情を変えないノアと、にこにこと笑顔のカノンのそのやりとりを聞いたセシルとバーバラが、どこか縋るようにセオドアを見た。セオドアもカノンに負けない笑顔で返す。
「いい子たちだろ?」
「……セシルぅ」
 ほぼ泣き顔になりながらセシルにしがみついてくるバーバラを、よしよしとその頭を撫でて宥めるセシルの前で、ノアとカノンのやり取りは続いた。
「最後に確認しておきたい。正確には何人いる?」
 カノンは目を閉じて耳を澄ませた。
「十……二人ですね。まとまりはあまりないようです。単独でやってきた人達を雇ったのでしょうね。東側に五人、西側に四人、北側に三人います」
「よし。セシル、人の身体の急所は覚えているな?」
 急に言われて、セシルは息を呑んだようだった。無理もない。あの施設で、ノアと同様に、セシルも〈クモ〉候補として育てられたのだ。その経験は、ノアと同様、セシルにとってもできることなら葬り去りたい過去のはずだった。
 二の足を踏む様子のセシルに、ノアは畳みかける。
「急所を外せばいい。そうすれば、少なくとも死なない」
「あ……」
 ノアがどうしてあの施設から妹達を連れて逃げるにとどまらず、わざわざ火をつけたのはどうしてなのかと、カノンはノアに聞いたことがある。証拠隠滅のためかというカノンの言葉に、それもある、と、ノアは頷いたが、もっと別の大きな理由を話してくれた。
「あの施設を残せば、また、身寄りのない子供が、俺達と同じ目に遭う。それに、セシルは、人を殺したくないと言っていた。そのセシルが、俺が貴族に売られていく日に見せたあの顔は、忘れられないからな。あの顔ごと、なくしてしまいたかった」
 バーバラも、ノアが売られていく日に見せたセシルの顔はひどかったと言っていた。ノアの目にも強く焼き付いたのなら、火をつけてまでも払いのけてしまいたかったのだろう。
 そして今も、人を殺したくないはずのセシルに、殺さなくていいと言っている。
 やっぱりノアは本人が自覚している以上に、セシル達の兄なのだと、カノンはノアのことが少し誇らしくなった。
 躊躇っていた様子のセシルだが、ノアの言葉に背を押されたのだろう、わかった、と、意を決した顔で頷いた。
 ノアとセシルが無頼者を片付ける担当、セオドアが地面に転がった無頼者を縛る担当、カノンとバーバラは屋敷の前に残って、残りの無頼者が屋敷に入らないように見張る担当と、それぞれ決められた。
 ノアとセシルが雪像から飛び出す。その後にセオドアがのんびりと続く。
 すぐに悲鳴と怒号が聞こえてきた。バーバラが思わずというようにカノンにしがみつく。「大丈夫ですよ。ノアとセシルの声は聞こえませんから」と宥めたが、「それでも、怖いのは怖いの」と、カノンにしがみつくのをやめなかった。
 臆病なのはミラのはずだが、バーバラにも意外と怖がりなところがあるのだな、と、小さな発見をしたカノンに、バーバラがぼそりと呟いた。
「なんか、ノアが、吹っ切れたような気がするの。カノン、何か魔法でも使ったの?」
 まさか、と、カノンは否定した。
「魔法はとても便利そうですけどねえ。残念ながら、わたしにそんなものは使えません。ただ、ノアとは、少し前に、確かに腹を割って話しました。その時に、幸せになりましょうと、すごく説得しましたよ」
「ああ……説得」
「はい、説得しました」
「そっか……」
 何かを悟ったように遠い目で頷いたバーバラだったが、小さな声で、しかし、確かに、「ありがと」と、続けた。目を見開くカノンに、バーバラは、小恥ずかしそうにしながらも、胸の中にある思いを伝えてくれた。
「カノンのこと、最初は疑ってたけど、今は、カノンが来てくれてよかったと思ってる。あたしたちじゃ、ノアは、きっと、吹っ切れなかったと思うから。だから、ありがと」
 心からの言葉なのだと分かったので、カノンは、こんなに想われているノアは幸せ者だなあ、と思いながら、こちらも心からの笑みを見せた。
「どういたしまして」
 ほどなくして、片付いたよ、と、セオドアが、ノアとセシルとともに戻ってきた。
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