夢幻恋奏

第三話 再会(12)

 冬が終わる頃、セオドアは、「会いに行きたい人がいるから、一緒に行こう」と、ノアとセシルを誘った。冬ももうすぐ終わるとはいえ、外には積もった雪がまだ残るような時期だ。それに、この数日間は、どんよりと曇る天気が続いている。普段なら、お出かけとなると、妹達も、一緒に行きたい! とはしゃぐのだが、あまりよろしくない天候が続いているせいで、今日ばかりは大人しかった。
 カノンとエリーとバーバラに、子供達のことを頼んだよ、と、セオドアが言っている間、カノンがセシルの傍に寄るのがノアの視界の隅に入った。
「セシル。落ち着いてくださいね」
「? 落ち着いてるつもりだけど」
 怪訝そうにするセシルの手を一度包み込むように握ってから、カノンは、既に外出支度を済ませたノアのほうへと視線をやった。
「ノア。セオドアとセシルを頼みますね」
「ああ」
 セオドアがノアとセシルを誘った時点で、カノンも、どうやら、セオドアの外出の用件を察したようだった。女の人には男の人にはない第六感があると言われているくらい、勘が鋭い人が多いというが、カノンの場合、それに加えて、考える時間があったからというのもあるだろう。実際、ノアも、考える時間があったので、セオドアの用件の内容も容易に推測できた。伊達に三百年前から縁が続いているわけではないと言えば、セオドアが泣いて喜ぶので、絶対に言わない。
 子供達にも見送られる中、ノアとセオドアとセシルは馬車に乗り込んだ。
 セオドアが御者に告げた行き先を聞いて、ノアは確信したが、セシルは驚いたようだった。
「どうして教会に? セオドア、信者か何かだったんですか?」
 まさか、と、ノアとセシルの向かいに座ったセオドアは首を横に振った。
「ただ、三百年前からの因縁を、そろそろ終わらせようと思ってね」
 三百年前から、という言葉で、セシルは小さく息を呑み、ノアとセオドアを交互に見やった。
「まあ、何も話さないつもりはないから、安心していいよ。ただ、ろくでもない話だからねえ。これから向かうところで、ちゃんと全部話すよ」
 セオドアのその言葉で、セシルはそれ以上追求することはなかったが、緊張ももたらしてしまったようだった。膝の上で両手を組んだセシルは、馬車が止まるまでの間、ずっと、気楽とは程遠い様子のままだった。
 いらない緊張をさせるな、と、ノアが視線だけでセオドアを軽く睨みつけると、セオドアは小さく肩を竦めた。
 やがて馬車が止まると、セオドアが言った通り、馬車が到着したのは教会だった。さほど時間もかからなかったから、ポルナレフ家の屋敷がある街の中にある教会だろう。
 立派な、というほど大きくはないが、小さくもない教会の中へ入っていったセオドアに続いて、ノアとセシルも教会の中へと足を踏み入れた。中も立派なつくりになっており、信者やその家族がたくさん座れるよう、長椅子が何列にも並べられており、その先には、十字架と、その下に、神父が教えを説くための小さな台が置かれている。
 立派な礼拝堂に、広いねえ、と、セオドアが感嘆の息を吐いていると、奥から扉が開く音がしたかと思うと、一人の男の人が姿を見せた。
「何か、困りごとでもおありですかな?」
 この教会につとめる神父のようだった。ノア達のように細身よりはやや丸みを帯びた体形に、その上にやはり丸っこい顔がのっている。その顔立ちは穏やかそのもので、どこからどう見ても、気のよさそうなおじさんにしか見えない。
 人は見かけによらないものだな、と、ノアが妙に感心をしていると、セオドアが、「やあやあ」と、軽く手を上げて挨拶して見せた。
「初めまして。ぼくはセオドアといいます。こちらの彼がノア、その隣にいるちょっと背の低い方がセシルです。今日はあなたに話を聞いていただきたくて来たんですよ、デニー神父」
 デニー・リップトック。それがこの目の前にいる神父の名前だと、馬車の中で、セオドアが、これから会いたい人物のことだけは簡単に話してくれたのだ。この教会につとめる神父で、既婚者であり、伴侶との間に一人娘をもうけている。妻と一緒にここへ来たのが二十三年前で、それからというもの、ずっと義理厚く仕事を続けたため、街の人々からの信頼も厚く、信者である貴族からも息の長い寄付を受けているという。
 だが、セオドアが会いたいというくらいだ。当然、裏の顔もある。
「おや。何の話でしょうか?」
 温厚な笑顔を崩さないデニーに、セオドアはいきなり切り出した。
「〈クモ〉のことですよ」
 セシルが顔を強張らせ、セオドアを凝視し、それからデニーを見やったが、神父は温厚そうな笑顔のままだ。
「何のことでしょうか? わたしにはさっぱりわかりません」
「まあ、そう焦らず、聞いてください。長い話になりますからねえ」
 軽く肩を竦めてみせたセオドアは、その言葉通り、長い話を始めた。
「信じていただかなくても構いませんが、ぼくとノアは三百年前の生まれ変わりなんですよ。三百年前、この国はとても疲れていた。当時の王が侵略戦争をやめなかったせいでね。それで、ポルナレフ様に声をかけていただいたのが縁で、ぼくたちは反乱に加わりました。その際、当時の王とその家族は、とても卑怯な策を弄しました。何の罪もないある女性を、当時のエレオノーラ王女の身代わりに仕立てたんです。まあ、当然、そのことを知ったポルナレフ様が黙っているわけがない。エレオノーラ王女の偽者だった彼女を助け、手厚く看病しました。この彼女のことを覚えていただきたい。彼女の存在が、後々、〈クモ〉誕生に繋がってくるんですから」
 デニーが口を開いた。
「わたしにも仕事があるんです。あまり長くなるようなら」
「焦らないようにと言ったはずですよ。で、エレオノーラ王女の偽者にされた彼女は、結局、ぼくたちのもとを離れました。その後、無事に新政府が立ち上げられたわけですが、その数年後、新しい王の護衛だったアーサーが死にました。新しい王の命を狙った暗殺者にね。ぼくもポルナレフ様も、アーサーを殺した暗殺者のことを調べました。色々興味深いことが分かりましたよ。彼は〈クモ〉と呼ばれていること、〈クモ〉を育てたのは、ある神父だったということ」
 セシルが息を呑んだ。
 デニーは困ったように首を傾げて見せた。
「それがわたしだと? 困りますな。三百年前にわたしが生きているわけがないでしょう」
「ええ、ぼくもポルナレフ様も、それがずっと不思議だったんですよ。何せ、この三百年間、〈クモ〉はずっと生き続けて来たんですから。でも、それよりもっと、大きな疑問がありました。どうして〈クモ〉は生まれたのか、〈クモ〉はどうして新しい王を狙ったのか」
 そう、ノアも、疑問を抱いたのは、それがきっかけだった。
 三百年前、アーサーは新しい王の命を狙った〈クモ〉によって命を落とした。そのため、アーサーを仕留めた〈クモ〉について考える余裕はなかったが、ノアとして生まれ、かつてのセドリックであるセオドアと再会した後、ふと疑問を抱いたのだった。
 どうして、あの暗殺者は新しい王を狙ったのだろう、と。
 答えに辿り着くのにそう時間はかからなかった。なぜなら――。
「新しい王を狙った理由。それはすぐにわかりました。新しい王が現れてほしくなかった誰か。反乱を起こしてほしくなかった誰かがいたのだとね。反乱が起きなければ、大事な誰かを奪われずに済んだ誰か。ぼくだけでなく、ノアにもすぐに分かったと思いますよ。なぜなら、反乱が起きなければ、エレオノーラ王女の偽者に仕立て上げられた彼女――リィリィとも、死ぬまで出会わなかったでしょうからね」
 あ、と、セシルが小さく声を漏らした。
 セシルはポルナレフ家の当主の妻に渡された本で、三百年前のノア達のことを知ったらしい。君があの二人をすぐに受け入れたわけだよ、と、少し前に、風呂上がりに苦笑されたことを思い出した。やはり、ノアがセオドアとカノンのことをすぐに受け入れたことを、セシル達は疑問に思っていたようだった。
 おそらく、今、セシルの頭には、カノンの姿が浮かんでいることだろう。
「リィリィは、ぼくたちのもとを離れる前に、彼女のことを全部話してくれました。彼女は母親と一緒に暮らしていたが、母親を亡くしたこと。それからは縁のあった教会に引き取られ、そこで働いていた神父に、実の娘と同じように育てられたこと。反乱が起きて暫くした頃、教会に王の使いがやってきて、乱暴にリィリィを連れて行ったこと。この時、リィリィを育てていた神父は、彼女を守ろうとしたようですが、まあ、お察しの通り、脅されたみたいですね。そのせいで、リィリィは大人しく連れていかれざるを得なかった。このことをとても恨んだ人物がいたんです。そう、リィリィを育てていた神父ですよ」
 セシルは再度、デニーを凝視したが、神父は相変わらず、温厚な笑顔のままだ。そのことにノアはいっそ感心すらしていた。これほどに分厚い面を持たなければ、人々の救済などとは最も縁遠いことを続けられないかもしれない。
「アーサーを葬った後、ぼくはポルナレフ様と一緒に、リィリィが育った教会に行きました。そこでリィリィを育てていた神父――ボラン・ドーイングに会ったんですよ。で、そこでも、今話したようなことを話しましてね。彼はリィリィを育てていたことを認めましたが、自分が〈クモ〉を育てたことは最後までしらばっくれました。そのかわり、処刑された王と、新しい王への恨み言はたくさん吐いてくれましたよ。王達がいなければ、自分達はささやかな暮らしを続けられたはずなのに、とね。まあ、彼の気持ちも、少しはわかります。ですが、彼は、越えてはならない一線を越えてしまった。そのせいで、思わぬ結果をもたらしてしまったんですからね」
「思わぬ結果?」
 デニーも意外だったのだろう、少し驚いたように眉を上げた彼に、ええ、と、セオドアは頷いた。
「ボランは、リィリィが連れていかれた後、新しい王をとても恨んだ。その恨みをばねにして、暗殺者を育てたんです。そして、その暗殺者を、新しい王に向けた。しかし、暗殺者が殺したのは、新しい王ではなく、その護衛だった。しかも、その護衛が、ボランが大事に育てていた娘――リィリィを助けた恩人だったんです。それはボランにとっても、耐えられない事実だったようですねえ。ぼくが彼にそう教えると、彼は壊れました」
 苦笑してみせたセオドアだが、はたで聞いていたセシルは平静ではいられなかっただろう。その証拠に、セシルは顔にじっとりと汗をかいている。当然だ。三百年前のことを平然と話しているだけでも信じ難いことだろうに、誰かを想っていた気持ちが、人殺しをするほどに歪んでしまったなど、とても聞けたものではない。
 しかし、と、セオドアは、ここで笑みを消した。
「ボランが死んだ後も、〈クモ〉は生き続けた。それはなぜか。〈クモ〉を生かし続けることに利益を見いだした者がいたからです。それは誰か。ボランの仕事仲間の誰かであることはすぐに見当が付きました。しかし、証拠はないものですから、三百年間、ポルナレフ様も、手出しはできませんでした。が、ようやく、尻尾を捕まえましてね」
「おや、それはおめでたいですね」
「ええ。先日、十人以上の曲者が、ノア達の住む屋敷を襲いましてね。ポルナレフ様からの圧力もあるので、警察は頑張ってくれたようです。捕まえた彼らは、やっと、あなたの部下に頼まれたと話してくれましたよ。この近くに煙草屋がありますね? その煙草屋で、あなたの部下と接触して、ノア達を捕まえて来いと言われたそうです。報酬は弾むからともね。そう話してくれた彼は、その煙草屋で買った煙草を持っていましたからね、煙草屋の店主にも話を聞きました。裏もちゃんと取れましたよ。確かに、薄汚れた格好だったが、品のある紳士が、柄の悪そうな男と親しげに話をしていたのを見たとね。以前までは、この教会に寄付してくれている貴族に『お願い』して、無頼者を雇わせていたようですが、その貴族も関係者がみんな捕まってしまったものですから、あなたはわざわざ自分で動かなければならなくなったようですねえ」
 ここでノアは、懐から、使い慣れた武器を取り出して見せた。これ見よがしにと、くるくると手の中で回して見せるが、それでも、デニーの表情は変わらない。温厚そうな笑顔――今はどこか困惑した様子だが、一切動揺するそぶりは見せない。
 デニーは自分が襲われるかもしれない状況になっても、なお、我知らぬという姿勢を通すつもりのようだった。
「そんな物騒なものを出して、どうするつもりです? まさか、わたしを殺そうとでも? わたしを殺しても、何の証拠も出てこないでしょう」
 ノアは武器を遊ばせていた手を止め、懐にしまいなおした。おや、と、デニーが意外そうな顔になる。
「そうだな。ここでお前を殺しても、何も変わらない。お前と同じように考えた奴が、また俺達を狙って来るだろう。だから殺さない。だが」
 ノアの視線を受けて、セオドアは頷いた。
 長椅子の間の通路に立っていたセオドアは、横の長椅子の隙間へと身体を滑らせ、後ろにある出入り口である扉の方を指さして見せた。
「彼女はどう思うでしょうね、デニー神父?」
 扉はいつの間にか、少しだけ開けられており、そこには、一人の若い女性がいた。年はカノンと同じくらいか。ここに来る途中、セオドアから、デニーには一人娘がいると言っていたから、おそらく彼女がそうだろう。
 彼女は青ざめており、ぶるぶると震える手で口元を押さえていた。無理もない。セオドアの話を最初からずっと聞いていれば、セシルと同じような反応になるだろう。しかし、彼女の場合、セシルとはその度合いが違う。何せ、彼女は、デニーの実の娘なのだ。
 デニーもこの時、初めて血相を変えた。
「ジニー!? お前、いつから――貴様!」
 何かを悟ったらしいデニーが、つい今しがたまでの温厚な笑顔はどこへやら、鬼もかくやの形相でセオドアを睨みつけた。
 セオドアは首を傾げて見せた。
「おや、何の証拠もないんじゃありませんでしたか?」
 そう言われて、デニーはようやく、自分の今の反応が、セオドアの話を肯定してしまっている――暗殺者である〈クモ〉に関わっていることを認めてしまっていることに気付いたようだった。
 だが、時は既に遅い。
「おとうさん……人を、殺してたの……?」
 信じたくない、嘘だ、嘘であってほしい、でも――と、心が揺れている様子のジニーに、デニーはどうにか動揺を収めようとする。
「ジニー。落ち着きなさい。お前は、今日、ここへ初めて来ただけの人の話と、わたしの話、どちらを信じるんだ? 彼の話は真っ赤な嘘だ。信じるんじゃない」
 なんとか娘を宥めようとするデニーのその様子は、いっそ滑稽ですらあった。
 ノアはデニーの様子にも注意を払いながら、そばにいるセシルに声をかけた。
「セシル。ここに来る前、言われただろう。落ち着けと」
「……無理だよ」
 セシルはぶるぶると震える拳を強く握りしめた。その隙間から、ぽたぽたと紅が零れ落ちる。
「だって、この男がいなければ、ぼくたちは――兄や、弟達は、死ななくて済んだはずなんだ。それに、姉達も、売られずに済んだ。それなのに、のうのうと――許せるわけない。ノア、ぼくは、人殺しになんてなりたくないって言ったけど――あの男だけは、殺せるなら、殺したい」
 おそらく、生まれて初めて、殺気をむき出しにするセシルの怒りは、凄まじいものだった。
 だが、それは同時に、デニーがしていたこと――何の罪もない子供達が死んでいったことを、ジニーが知るのに十分だっただろう。
 次の瞬間、ジニーの悲鳴が教会の中に響いた。
 デニーがジニーを呼ぶ声も続くが、ジニーの悲鳴にかき消されてしまう。
 動揺する親子を一瞥してから、セオドアは、ノアとセシルの肩を掴んだ。
「用は終わった。帰ろう」
「ああ。セシル、行くぞ」
 セオドアとノアに抱きかかえられるようにして、セシルは、泣きながら、馬車の中に乗り込んだ。


 ――その翌日、自宅の部屋で娘が遺体で発見された。
 最初に見つけた父親――デニーが発狂したため、家族や部下に取り押さえられて、病院に運ばれた。しかし、ジニーの部屋に残された遺書により、デニーの裏の稼業が明るみになったため、デニーがつとめていた教会に警察の捜索が入ることになり、同時に、入院していたデニーも、その身柄を拘束された。
 デニーの教会に寄付などで関わっていたすべての貴族にも警察の捜索の手が伸びることになり、〈クモ〉の関係者は、ほぼすべてが逮捕されることになった。
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