夢幻恋奏

第三話 再会(13)

 今日はとてもよく晴れたので、カノンは、バーバラやミラと一緒に、洗濯物を外に干していた。一週間に一度は布団のシーツなどを洗うのだが、ここ二週間は雪や雨が降り続いていたため、外に干すことができず、洗えなかったのだった。そのため、今日は久しぶりに、白いシーツが何枚も風にそよぐ光景を見ることになった。
「今日は、よく乾きそう」
「そうですねえ。いい天気ですからねえ」
 他愛もない話をしながら、ミラと協力して、シーツを引っ張って伸ばして干していると、中身をいっぱいにした洗濯籠を抱えたバーバラと、同じように洗濯籠を抱えたセシルがカノンの傍に来た。追加分の洗濯物を運んできてくれたのだと分かったが、セシルの姿は意外だった。
 週末は、天気が良ければ、今日のように、カノンや、バーバラなど、年長の女の子が洗濯物を片付けることが多い。セオドア、ノア、セシルは、庭の掃除、天気が良くなければ、屋敷の中の掃除――普段は入ることの少ない部屋など――をやることが多いからだ。今日も、セオドアとノアは、見回りを兼ねて、屋敷周りの整備に行っている。
 もしかすると、昨日、教会に行ったのが響いているのかもしれないと、カノンはすぐに察した。
 そう、昨日、セオドアとノアとセシルは、カノン達のいる屋敷から一番近い教会に行ってきたのだ。一番近いとはいっても、馬車を走らせても時間がかかる。実際、昨日も、セオドア達が発ったのは昼過ぎだが、帰ってきたのは時計の針が二周した頃だった。
 セオドア達が何の用で教会に行ってきたのか、それは今朝の新聞で知れた。何せ、一面にでかでかと「衝撃 神父は悪魔だった?」という見出しで、セオドア達が行った教会につとめる神父が捕まったという記事が書かれていたからだ。どうして神父が捕まったのか、きっかけは、彼の愛娘が自宅で服毒自殺を図ったことだった。彼女の遺体を最初に見つけた父親は発狂したが、母親にとってはもっと耐えられない事実が明らかになった。娘の遺書によれば、父親が人殺しの仕事に関わっていたというのだから。父親よりも母親のほうが心配です、と、彼らに関わった警察が心配そうにこぼしていたことも書かれていた。
 人殺しの仕事とは、つまり、〈クモ〉と、〈クモ〉を育てていたことだろう。ポルナレフやセオドアは、三百年越しに、ようやく、元凶を突き止め、捕まえ、断ったことになる。
 人々の救済を仕事としているはずの神父が、最も縁遠そうなこと――〈クモ〉に関わっていたことは、〈クモ〉を知らない普通の人々にとっても衝撃のはずだ。〈クモ〉になるべく育てられたセシルには、更に衝撃が大きかっただろう。
 〈クモ〉を育てていた神父がどんな人物だったのか、カノンは直接会っていないので――会いたいとも思わないが――、分からないが、少なくとも、胸糞悪い人物だろうということは想像できる。その証拠に、帰ってきたセシルは、バーバラや妹達ですら、そっと距離を置くほど、暗い雰囲気を纏っていた。やはり、くだんの神父とは、反吐が出るようなやり取りがあったらしい。
 そのため、朝になっても、セオドアとノアは、セシルを放っておくことにしたようで、今日はここからここをやっておこうか、などと、二人でやりとりをしながら、庭に出て行った。それを見習ったようで、妹達も、カノンやエリーと一緒に、天気が晴れた日にしかできない仕事に手をつけていったのだった。
 よいしょ、と、洗濯籠を地面に置いたセシルに、カノンは声をかけた。
「もう大丈夫なんですか?」
 セシルは苦笑した。
「正直に言うと、まだ、ちょっと、大丈夫じゃないけどね。あんまり妹達に気を遣わせるのもなんだし。身体を動かしていたほうが、気が紛れると思って」
 それに、と、セシルはカノンを見た。
「カノンにも、お礼を言いたいと思ったから」
「わたしに?」
「うん。昨日、落ち着いてって言ってくれたでしょ? あれがなければ、ぼくはたぶん、やっちゃいけないことをやっていたと思う」
 やはり、くだんの神父との話は、相当逆鱗に触れるものだったようだ。
 物騒なことを言ったセシルにぎょっとするミラとバーバラの横で、カノンは首を竦めてみせた。
「もし、そうなったとしても、ノアが止めてくれていたと思いますよ」
「うん、ぼくもそう思うけど、カノンには、そのノアのことでもお礼を言いたかったから」
 既視感があるやり取りだなあ、と、小首を傾げるカノンに、ノアは洗濯物を広げながら、続けた。
「少し前から、ノアは吹っ切れたような感じがあるから。たぶん、カノンが何か言ってくれたんでしょ?」
「説得したんだってさ」
「説得? ああ……」
 こちらも洗濯物を広げながらのバーバラの言葉に、セシルは納得したようだった。
「お礼を言いたいのは、わたしのほうですけどねえ」
「え、なんで?」
 カノンの言葉は意外だったのだろう、セシルだけでなく、バーバラも意外そうな顔を向けてきた。
「だって、ノアはあなたたちのことを大事にしていますからね。前にいた施設で亡くなった弟達のことも、忘れていないようですし、それに、セシル、もし、あなただけでも、弟が残っていなければ、ノアは生きようとは思わなかったかもしれません」
「あ……」
 思い当たるところがあったのだろう、セシルが小さく声を漏らした。
 バーバラも顔を曇らせたので、嫌なことを思い出させてしまったことに申し訳ないと思いながらも、それでも、それを踏まえなければ、感謝を伝えることはできない。
 なぜなら――。
「もし、あなたたちが、ひとりだけでもいなくなっていたら、ノアは、あそこから逃げようとは思わなかったかもしれません。もし、逃げていなかったら、わたしも、セオドアも、ノアに会うことはできませんでした」
 カノンは手にしていた洗濯物を籠の中に戻すと、セシルとバーバラに近づき、それぞれの手に自分の手を重ねた。
「だから、わたしは、あなたたちに感謝しているんです。ここに来るまではとても辛かったと思います。でも、耐えてくれて、よかった。生きていてくれてありがとう。ノアの傍にいてくれてありがとう。ノアを、大事にしてくれて、ありがとう」
 バーバラの涙腺はあっさりと限界を迎えたようだった。
「わああん、泣かせないでよおおお」
「バーバラ……意外と泣き虫だったんだね」
「うるさいよおおお」
 文句を言いながらも、バーバラは、セシルとカノンをひっしと抱きしめながら、泣いた。
 カノンも、バーバラの少し強い力に、ちょっと手加減してほしいなあ、と思いつつも、セシルと同じように、バーバラが泣き止むまで、大人しく抱きしめられていた。
 ミラも、「バーバラが泣いてるの、珍しいね」と呟きながらも、洗濯物を早く干さないと、と、促すことはしないで、カノンやセシルと同じように、バーバラが泣き止むまで待っていてくれた。
 その日の夜、いつものように食堂で夕食の準備をしていると、着替えたらしいノアが食堂の中に入ってくるのが見えた。そんな彼に近づくセシルの姿も。
「ねえノア、お願いがあるんだけど」
「なんだ」
「ノアとカノン、結婚してよ」
 笑顔でそう言ったセシルに、ノアは固まり、台車を運んでいたカノンも、思わず手も足も止めたのだった。
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