夢幻恋奏

第二話 過去(1)

 かつて、ある国――カルミアは、とても疲弊しきっていた。
 当時、カルミアは大きな国だったが、それゆえに、当時の王は強欲で、もっと国を大きくしたいと、隣国のシトリニアに侵攻していたのだ。シトリニアはカルミアに比べると、とても小さな国だったが、しかし、当時の王や王の側近たちの予想に反して、シトリニアへの侵攻は簡単に終わらなかった。シトリニアは国こそ小さかったものの、その分、周辺の国々との外交に力を入れている。それが功を奏し、彼らからの支援を得たこともあり、カルミアの大軍の進出にも屈せず、粘り強い抵抗を見せたからだ。
 カルミアのシトリニアへの侵攻が長引くにつれて、カルミアの貴族たちは、カルミアの王に見切りをつける者が出てきた。続々と国外へ亡命する者が出始めたのだ。それにつられるようにして、この戦争に疑問を抱いていた国民たちも、じわじわと国外へ避難していった。
 同時に、カルミア国内で、カルミアの王に不満を持つ者が増えていった。カルミアの貴族の中には、そういった者達を集めて、王に反旗を翻そうとする者もいた。
 アーサーとセドリックも、そうして王に刃を向けた者達だった。


 アーサーとセドリックが王宮へと足を踏み入れた時、王宮はひどいありさまだった。
 国の中に反乱分子が増えているという予兆は、流石に王も掴んでいたのだろう。シトリニアへの侵攻を決め、実行したのは王だが、逃げるのも早かったというわけだ。王とその家族は見事にいなくなっていた。国外へ逃亡したのかもしれないと思われたが、セドリックは、その可能性は低いと考えていた。何しろ、カルミアは広い。国外へ足を踏み入れるには、少なくとも一週間以上はかかる。おまけに、長引く戦争で、どこも食糧難に喘いでいる。戦争に馬も駆り出されているものだから、足を確保するのも難しいだろう。もしかすると、一か月以上かかるかもしれない。
 そのため、王とその家族はまだカルミア内に潜んでいると踏んだセドリックの命令を受けて、反乱軍はカルミア内の捜索を始めた。
 このとき、アーサーとセドリックはともに二十三歳だった。
 アーサーとセドリックはもともと修学院の同級生だった。アーサーは騎士を目指しており、セドリックは学者を目指していた。正反対の性格だったが、それゆえだろう、ふたりは入学当初から気が合った。
 二人は貴族ではなく、平民出身だったが、そのため、二人とも努力を惜しまなかった。その結果、修学院を卒業するころには、セドリックは首席代表になり、アーサーは、カルミアの騎士団に入ることが決まった。二人の優秀な成績に一目置いた貴族からの支援もあり、このままとんとん拍子に出世してゆくかと思われた。
 しかし、その矢先に戦争が起こったというわけだ。
 アーサーとセドリックはすぐに行動を起こした。二人を支援していた貴族が、王に反旗を翻すつもりだと、二人に話したからだ。
「そもそも、あの方は、以前からあまりの強欲さが目に余っていたからね。そのうちやらかすんじゃないかと思っていたのさ。このまま、あの方に国を任せていたら、この国は滅ぶ。そうなる前に、いっそ討ち取ろうかと思っているんだ。でも、そのためには、人手がいる。とても腕に覚えのある人手がね。どうだい? 二人とも、協力してくれないか?」
 二人を支援していた貴族――ポルナレフ家の当主は、そう言うあたり、とても癖のある人物だったが、観察眼はとても確かだった。そして、それを実行するために必要なものも備えていたので、二人は二つ返事で承諾したのだった。
 ポルナレフは他にも王へ不満を持つ者達を集め、貴族へは支援を呼びかけ、少しずつ、秘密裏に準備を進めていった。
 そうして準備が整った頃、王宮へ総攻撃を仕掛けた。
 王軍は大多数がシトリニアへの侵攻に割かれていたこともあり、あっという間に壊滅状態になり、二日も経たずに降伏した。
「こうも簡単に事が進むと、逆に怖いねえ」
 ポルナレフが思わずそうこぼしたほどだった。
 しかし、王とその家族の捜索はそう簡単ではなかった。反乱分子が増えているという情報を掴んだ時から、相当警戒していたのだろう。それと同時に準備も周到に進めていたと見え、なかなか尻尾がつかめなかった。
「今日も手掛かりはなしだそうだよ」
 王宮の一室、その部屋の中にある机の椅子に腰を下ろしながら、ハア、と、ポルナレフはため息を吐いて見せた。
 ここ――ポルナレフがいる王宮の部屋は、王に仕えていたある書記官のものだ。書記官も、王に仕えていた頃から、王の危うさを察知していたと見え、戦争が始まるや否や、王宮からさっさととんずらしたらしい。つくづく、王の周りには、当人も含め、ろくな者がいなかったようだ。
 ポルナレフはただ何の計算もなしに反乱を起こしたわけではない。一番の目的は戦争終結、そして、新しい王を立ち上げることだ。アーサーもセドリックも、ポルナレフのその目的を知っており、賛同してもいたから、進んで協力したのだった。
 新しく立ち上げるための王はもういる。王の血を引くが、王にとってはかなり遠い親戚にあたる人物だ。王にとってかなり遠い親戚だということが、ポルナレフを含めた貴族たちが彼を擁立する一番の理由になったのは容易に想像できる。強欲な王には誰もがうんざりしていた。それよりは、王の血を引くが、強欲な王には全く似ていない者がいいと考える者が多くいたからだ。
 新しく王になる者もまた、ポルナレフを始めとした支援者たちと同様に、王宮に入っており、早速仕事を始めている。シトリニアとの戦争終結に向けた協議、シトリニア王との会談の準備だ。
 しかし、戦争終結のためには欠かせないことがある。それは王の処刑だ。王が生きていれば、またどこかから自分が王だと名乗り出るかもしれない。そうなると厄介なのは目に見えている。強欲な王に与する貴族もまだいるのだ。ただでさえ、カルミアはシトリニアとの戦争で疲弊しきっているのに、新政府と旧政府のぶつかりあいで更に疲弊させるわけにはいかない。
 そのため、ポルナレフたちは必死で王とその家族の捜索をしているが、ポルナレフやセドリックの予想した一週間を超えても、手掛かりはないという。
 そこで君たちに相談です、と、ポルナレフは、机越しにアーサーとセドリックを見やった。
「わたしの部下がエレオノーラ王女を見つけたようでしてね。彼女から家族のことを聞き出そうとしているんですが、知らないの一点張りだそうでして。あなたたちが代わりに彼女から聞き出してみてくれませんか?」
 アーサーとセドリックは思わず顔を見合わせた。
「エレオノーラ王女が? これ以上ない手がかりじゃないですか」
 どうして今までそれを教えてくれなかったのだ、と、セドリックが意を唱えれば、ポルナレフは肩を竦めて見せた。
「彼女を見つけた部下が、すぐに吐き出させますと、とても意気揚々だったものですからね。王女には死んでもらう予定ですが、その前に家族の居場所を吐いてもらわなければ困る。死なない程度にしなさいと、一応、念を押したんですが」
「まさか――拷問を?」
 アーサーが初めて声を上げた。
 セドリックも、それはまずいな、と、冷や汗を流した。
 アーサーとセドリックは修学院に入ってからの付き合いだ。そのため、セドリックは、アーサーが女性にひどい扱いをする者を毛嫌いしていることを知っている。元々、アーサーの母親が、アーサーの父親からひどい暴力を受けており、その暴力から逃れるため、アーサーの母親はまだ幼かったアーサーを連れて逃げた。そのおかげで、アーサーも、アーサーの母親も、穏やかな生活を送れるようになったと聞いたことがある。
 アーサーはすぐさま、ポルナレフからエレオノーラ王女の居場所を聞き出すと、部屋を飛び出した。
 セドリックもポルナレフに頭を下げてから、慌ててアーサーの後を追った。
 結果を言えば、最悪の事態は免れた。
 一向に家族の居場所を吐こうとしないエレオノーラ王女に業を煮やした兵士が、最後の手段に出ようとしたのだ。手錠をかけられ、鎖に繋がれて、床に倒れたまま、ぴくりとも動かないエレオノーラ王女に覆い被さろうとした兵士を見て、アーサーはぶち切れた。
 そして、アーサーは躊躇いなく、腰に下げていた剣を、格子越しに兵士の背中に投げた。
 格子の戸を開け、絶命した兵士を邪魔そうにどけてから、アーサーはエレオノーラ王女を助け起こそうと、彼女のそばに寄った。
 しかし、そこでアーサーは、雷に打たれたように立ち尽くした。
 どうしたのかと、セドリックもアーサーと同様に牢の中に入り、エレオノーラ王女を見て、理解した。
 エレオノーラ王女は生きているのが不思議なくらいの状態だった。
 王女だったということが分からないくらいのぼろきれを纏っており、逃げられないように左足の腱を切られているだけでなく、右手の指の骨も何本か折られている。それだけではなかった。顔も、相当殴られたせいで、原形が分からないほどに腫れているため、目も満足に開けられないありさまだった。
 顔だけでなく、身体のあらゆるところに暴力を振るわれていたのだろう、腹も殴られたせいで、周りには腹のものを吐き出した痕がいくつもあった。
「な……」
 セドリックも、あまりのことに声すら忘れ、暫く立ち尽くした。
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