夢幻恋奏

第二話 過去(2)

 エレオノーラ王女だと報告を受けた女性は、偽者だったと、ポルナレフに報告するのに、そう時間はかからなかった。
 なぜなら、アーサーとセドリックが、エレオノーラ王女として囚われていた彼女を、治療を施すために牢から出し、医師のいる部屋へと連れて行き、そこで髪の色がエレオノーラ王女とは違うことが分かったからだ。医師はアーサーとセドリックが連れてきた彼女を一目見るや否や、二人からひったくるようにして奪い取り、二人を部屋から追い出してから、すぐさま治療を始めた。
 医師から「待て」をくらう羽目になった二人は、医師が深いため息を落としながら、部屋から出てくるまで、じっと待っていた。
 そうして医師から告げられたのは、髪が染められていたこと、彼女の怪我は深く、完治に二か月ほどかかるだろうということだった。
「髪が?」
 深刻な顔のアーサーとセドリックからの報告を聞いたポルナレフも、医師から聞いた二人と同じ反応を示した。
 そうです、と、沈黙したままのアーサーに代わり、セドリックは苦い思いで頷いた。
「ぼくたちも確認してみましたが、彼女の髪は桃色でした。エレオノーラ王女は茶色の髪だと聞いています。彼女に治療をする際、体を洗う必要があったため、その時に髪の色が落ちたそうです。それに、他にもいくつか気になることを聞きました。彼女はどう見ても、貴族以上の育ち方をしてきたとは思えないと、医師も、治療に当たった者達も証言しています」
 そう、医師や、医師とともに治療にあたった者達によれば、エレオノーラ王女だといわれていた彼女は、桃色の髪だけでなく、手や足にいくつかのたこを見つけた。労働者――アーサーやセドリックと同じ平民出身だということは明らかだった。
 どういうことか、考えられることはただ一つだ。
 ポルナレフもすぐにその答えに辿り着いたのだろう、アーサーやセドリックに負けないくらいに顔を顰めた。
「偽者だったというわけか」
「おそらく」
 そして、誰が彼女を偽者に仕立てたのかも、分かり切っている。
「グスタフ王……」
 ポルナレフが、机の上で組んだ両手に押し当てた口から、唸るような声を出した。その声には、自分達の保身のためにそこまでやるのかと、王とその家族に対する怒りが込められていた。
 それはアーサーもセドリックも同じだった。いや、もしかすると、この中で、セドリックが一番強い怒りを覚えていただろう。
 この世には自分と同じ顔を持つ者が三人いるという。どういうわけか、エレオノーラ王女と同じ顔を持つ彼女を、どこかで聞き知ったか、それとも見つけたか、とにかく、彼女の存在を知った王達は、自分達の逃亡の時間稼ぎをするために、彼女をエレオノーラ王女に仕立て、彼女だけを王宮に残した。そして、後から踏み入れたアーサー達にまんまと捕まり、拷問を受ける羽目になった。
 なんとも嫌な話だ。
 暫くの間、歯軋りをした後、ポルナレフは深く溜め息を落とした。
「それでは、いくら問い詰めても、知らないと一点張りだったのも無理はないな。偽者なら、王が教えるはずがない」
「ええ」
 そう、知らないの一点張りだったのも、偽者だったのなら納得できる。王とその家族が、自分達のことを、娘の身代わりに仕立てた彼女に教えるわけがないからだ。自分達の逃亡に関わるような情報を少しでも教えれば、自分達が捕まるのは目に見えている。
 その前に、一体どうやって、偽者に仕立てる彼女を王宮に連れて来たのか。
 考えると反吐が出そうになるので、セドリックは頭を振って、その疑問を追いやった。
 と、ポルナレフがおもむろに立ち上がったかと思うと、二人に向かって頭を下げた。
「すまなかった」
 当然ながら、アーサーもセドリックも驚いた。
「突然なんです、ポルナレフ様」
「そもそも、エレオノーラ王女を捕まえたと聞いた時、わたしが直接確認しなかったことだ。もし、その時に本人に会って確認していれば、彼女が拷問を受けることもなかった」
 アーサーもセドリックも何も言えなかった。
 忙しかったから、といえば済む話だが、それで済ませたくないという気持ちも察せるからだ。
 ポルナレフは頭を上げた。
「彼女の治療費はわたしが全額負担しよう。彼女にも勿論謝りに行く。だが、その前に、彼女を捕まえた部下に処罰を与えなければ」
「その必要はありませんよ」
 すぐさまセドリックが首を横に振ったので、ポルナレフは不思議そうに瞬いた。
「なぜだね」
「彼が、その場で殺しましたから」
 セドリックに示されたアーサーを見て、ポルナレフは絶句した。


 エレオノーラ王女の偽者だった彼女は、王宮から離れたところにある、ポルナレフ家の屋敷に運び出され、そこで治療を受けることになった。拷問を受けていた場所では、いくら手厚い治療を受けても、心休まることがないだろうと、セドリックがポルナレフに進言したのだった。ポルナレフ家の屋敷に運び出されたのは、ポルナレフがアーサーとセドリックに言った通り、彼女への償いでもあっただろう。ポルナレフ家も貴族なので、お抱えの医師もいる。手厚い治療を受けさせるにはもってこいの場所だった。
 同時に、アーサーとセドリックも、ポルナレフ家で寝泊まりするようになった。王とその家族の捜索、新政府の準備と、やることは山ほどあったが、二人の優先順位は同じだった。一番優先することは、エレオノーラ王女の偽者だった彼女の治療と護衛だ。
 エレオノーラ王女だとされた彼女が偽者だと判明したところで、彼女の身の安全が保障されるわけではない。ポルナレフが彼女を文字通り保護しているが、国の中には、まだ、王とその家族に不満を持つ者が大勢いる。エレオノーラ王女を捕まえたと意気揚々だったポルナレフの部下も、途中で彼女の髪の色が落ちたことで、彼女が偽者だと分かったはずだが、それでも拷問をやめなかった。たとえ偽者だと分かっていても、エレオノーラ王女と同じ顔を持つ彼女に理不尽に怒りをぶつける者は必ず出てくる。アーサーもセドリックも、そして、ポルナレフも、それを一番危惧した。
 だから、ポルナレフは、王とその家族の捜索や新政府の準備よりも、彼女の護衛を優先するようにと、アーサーとセドリックに命じたのだ。勿論、二人も二つ返事で引き受けた。
 そうして二週間ほど経つと、彼女の顔に巻かれていた包帯は取れ、両目を覆っていた当て布も取れた。彼女は確かに、エレオノーラ王女と同じ顔だったが、髪の色も違えば、目の色も違った。目の色はさすがに誤魔化せなかったので、伸びていただろう前髪で隠させていたのだろう。右目は暴力を振るわれていたせいで失明していたが、左目は元の色――淡い青紫色のままだった。光の加減によって色が変わるその目は、まるで宝石のようだなと、彼女に会うたびにセドリックは思ったものだ。
 彼女へのアーサーの看護はとても手厚かった。指の骨を折られたせいで、何をするにも不自由な彼女に、食事のたびに料理を食べさせたり、筋肉の力を取り戻すための訓練のたびに、彼女を支えたり、それ以外には他愛無い話を聞かせたり――。
 そのうちに、アーサーが彼女のことをリィリィと呼ぶようになったのを知ると、セドリックは、どうしてその名前に、と、アーサーに聞いた。
「小さいもの、って意味なんだよ」
 アーサーは答えたくなさそうだったが、じゃあ彼女に聞いてみるか、と、セドリックがぼやいてみれば、渋々そう答えてくれた。彼女をその名前で呼ぶようになったのは、それだけではない理由もあるだろうが、セドリックはそれ以上は追及せず、よしよしとアーサーの頭を撫でた。子供扱いするなと彼に憤慨されたのは言うまでもない。
 これ以降、セドリックも彼女のことをリィリィと呼ぶようになったが、実は二人とも、彼女の声を一度も聞いていない。拷問で喉も潰されたからだ。それだけでなく、精神的な理由もあるだろう。
 彼女がひどい目に遭ったことを知る度に、八つ裂きにしておけばよかった、と、アーサーが、彼女のいないところで怒りを滾らせているのを見かけては、セドリックは気を揉んだものだ。
 なぜなら、リィリィと一緒に過ごしているうちに、アーサーと彼女は深い関係になっていったからだ。そうと気づいたのは、リィリィが夜に眠れるようになった時だった。彼女はポルナレフ家に来てからというもの、朝までぐっすり眠れたことがなかった。それがある時から、ぱったりとなくなった。アーサーと一緒に過ごした時だけだということに気づいた時に、二人の関係が変わったことを察したのだ。
 だからといって、セドリックは二人を邪魔しようとは思わなかった。むしろ、二人一緒になればいいなと思ったくらいだ。
 しかし、戦争は、どこまでもとことん深く傷跡を残す。
 それを痛感したのは、リィリィがポルナレフ家に運ばれてから一ヶ月が経ち、彼女が、話がある、と、セドリックと二人きりの時に切り出した時だった。
 その時、セドリックは初めて、リィリィの声を聞いたので、感動すらした。まさか、そのすぐ後に、絶望にとことん落とされるとは、夢にも思わなかった。
「君――声が出るようになったの?」
 いえ、と、リィリィは、寝台の上で、小さく首を横に振った。この頃には、彼女の怪我は、右目の失明と右足の麻痺を除けば、もうほとんど治っていた。
「喉は、少し前に、治っていました。でも、変な声が出たら、困るので、お二人がいない時に、声を出す練習をしてました」
「そうか。アーサーもきっと喜ぶよ」
 思わず破顔したセドリックだが、彼とは反対に、リィリィは顔を曇らせた。
 それを見て、彼女の話は楽しいものではなさそうだと気づいたセドリックも、顔を引き締めた。
「アーサーに関係することかい?」
 控えめに小さく頷いた彼女は、ここを出ようと思っています、と、話したのだった。
 当然ながら、セドリックがそれだけで納得するわけがない。それはリィリィも予想していたのだろう。よほど言い難いことなのか、躊躇うように、暫くの間俯いていたが、やがて、意を決したように顔を上げると、あの宝石のようにきれいな目で、まっすぐにセドリックを見つめた。
「わたしは、もうすぐ死にます」
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