夢幻恋奏

第二話 過去(4)

「やっと君達に会えると思って、目を閉じたはずが、次に気が付いたら、赤ちゃんになっていたんだからねえ。ぼくは死んだはずなのにって、訳が分からなくて、めちゃくちゃ泣いたよ」
 アッハッハ、と、笑いながら、そう言ったセオドアに、カノンは、ああ、と、小さく声をこぼした。セオドアの姉であるオリビアから、セオドアが生まれた時のことを聞いたことを思い出したからだ。いつも落ち着き払っており、動揺とはまるで無縁のように思えるセオドアだが、生まれた時だけは、疲れて眠るまで、これでもかと泣き続けていたという。
 あの後、あまりの頭痛で再度眠りに落ちたカノンは、今度は三日間ぶっ通しで眠り続けたらしい。しかもその間は熱も出ていたというおまけつきだ。
 当然ながら、カノンの父と兄やオリビアは、そんなに酒に弱かったのか、いや、自分達の知らないうちに病気にかかってしまったのかと、カノンのことを心配したが、セオドアに「心配ないよ」ととりなされたそうだ。どうしてそんなに落ち着いていられるの、と、オリビアに八つ当たりそのものの怒りをぶつけられたそうだが、「ぼくが探していた奴も、同じことがあったからねえ。大丈夫、そのうち目を覚ますよ」と、納得できるような、できないようなことを言われて、煙に巻かれた形になったらしい。
 今のカノンなら、セオドアのその言葉の意味が分かるが、二人以外にとってはさっぱり訳が分からないだろう。よくそれでオリビアが引き下がれたな、と思ったら、カノンを診た医師にも、ただの熱ですね、と言われたようで、あまり心配するほどのことではないと分かったのだろう。
 カノンは三日間、ぶっ通しで眠っていたので、今は、三日後の夜だ。
 オリビアは今日も一階にある店で仕事をしている。
 つまり、今は、カノンはセオドアと二人きり――腹を割って話すには、これ以上ない機会だ。
「さて、カノン」
 セオドアも同じことを考えたようで、カノンがコップの水を飲み干したのを確認してから、そう切り出した。
「改めて、三百年ぶり、と言っていいかな。ぼくは、三百年前は、セドリックという名前だった。そして、君も、三百年前は、リィリィだった。もっとも、その名前は、アーサーが君につけた名前で、ぼくもアーサーも、君の本当の名前は分からずじまいだったけどね」
 そうですね、と、カノンも頷いた。
 熱を出していたこの三日間、カノンは夢という形で、三百年前の記憶を思い出していたのだ。
「今だから言えますけど、三百年前のわたしは、なんて人生だったんでしょうね」
 呻くようにそう言えば、セオドアが噴き出した。
「いやあ、それは、今の君だから言えることだよねえ。強く育ってくれて、お兄さんは嬉しいよ」
「あなたがそう育ててくれたようなものですからね」
「そう。今度こそ、君達には幸せになってほしいからね」
 カノンはセオドアを見つめた。
「君達、ということは、セオドアは、もう見つけているんですね」
 カノンのその問いかけに、セオドアも笑みを引っ込めて、真剣な顔になった。
「そう。今の君なら分かると思うけど、ぼくがあっちこっちに行っていたのは、あいつ――三百年前のアーサーを捜していたからだ。ぼくも君も、こうして生まれ変わったんだからね。絶対にあいつも生まれ変わっているはずだって、そりゃもう、必死に探したよ。その甲斐あって、二年前に、やっと、あいつを見つけた。でも――」
 その時のことを思い出しているのだろう、セオドアは組んだ両手で口元を隠しているが、小刻みに震える身体はごまかしようがない。
 そしてカノンは、こういう時、彼は泣いているのではなく、笑っているのだということをよく知っている。
「とても愉快な状況だったのでしょうね」
「クッ……そう、とても愉快だったんだよ……ククフッ」
 カノンの予想通り、セオドアは笑いを堪え切れなかったようだった。
 しばらくの間、セオドアは笑いの発作に襲われていたが、やがて落ち着くと、なんとか真面目な顔になった。
「ただ、あいつの置かれていた状況は、けっこう過酷でね。三百年前、あいつが王の護衛をやってて、暗殺者に襲われて死んだ。それは話しただろう?」
 カノンは顔を顰めて頷いた。カノンが三日ぶりに起きた後、セオドアは、三百年前、リィリィがポルナレフ家を後にした後のことを簡単に話してくれたのだ。結局、リィリィが彼女なりに必死に守ろうとしていたアーサーは、長生きできなかったことになる。
「三百年前、ぼくたちも、王を殺そうとしていた暗殺者を放っておくことはできなかったからね。ぼくたちなりに調べてみたのさ。そうしたら、彼は〈クモ〉と呼ばれていることが分かった。〈クモ〉と呼ばれている彼は、恐ろしいことに、ぼくたちが死んだ後も、この国で活躍し続けていた」
 カノンは思わず布団を握りしめた。
「待ってください。三百年前から――いえ、この三百年間、ずっとですか? まさか。それはあり得ません。人は必ず死ぬ。〈クモ〉とかいうその人も同じはずです。不死身でもなければ」
「そう。ぼくもポルナレフ様も、それを疑問に思ったんだ。それで、ポルナレフ様は、ご自分が死んだ後も、〈クモ〉のことを調べ続けるようにと、ご子息に言い残されたんだよ。ポルナレフ様のご子息は、それを忠実に守った。だから分かったんだよ。〈クモ〉が生き続けるからくりが」
 ちなみに、と、セオドアは付け足した。
「ポルナレフ様は、ぼくたちのことも気にかけてくださっていたようでね。ぼくたちは必ずいつか生まれ変わってくる。だから、もし、ぼくたちの生まれ変わりだと名乗る者が現れたら、ポルナレフ家総出で協力するようにって、〈クモ〉のことと同じように、ご子息に言い残されたそうだよ。だから、ぼくが、捜したい者がいると、ポルナレフ家を訪れた時も、あっさりと話を聞いてくれたんだ。そして、協力もしてくれた」
 カノンは、三百年前の記憶の中にあるポルナレフの顔を思い出した。
「……誠実な、お方だったのですね」
「そう。今のポルナレフ様も、とても誠実なお方だ。全部終わったら、みんなで、お礼を言いに行こう」
「はい。必ず」
 頷き合ってから、セオドアは改めて続けた。
「で、〈クモ〉の話に戻るけれども、どうして彼が三百年間生き続けられたのか。それは、〈クモ〉――暗殺者を育てる施設があったからだ」
「施設?」
「そう。表向きは孤児院となっていた。だから、なかなか尻尾が掴めなかったんだよねえ。しかも、その孤児院に関わっている貴族がひとつやふたつじゃなくて、数十にも上るとなればね」
 カノンは再度、布団を強く握りしめた。
「……子供を、食い物にしたということですか」
「そういうことになる。自分にとって都合の悪い者を殺してくれる暗殺者を育ててくれるとなれば、金を惜しまない貴族なんて、数えればきりがないからね。しかも、暗殺者を育てるためにお金をかける名目が、孤児院への寄付となれば、家の名誉にも拍が付くというおまけつきだ。いやあ、誰が考えたのか分からないけど、悪巧みにも程があるよねえ」
 やれやれと首を横に振ってから、セオドアは、ふいに笑みを浮かべた。なんとも人の悪い笑み――それこそ、悪巧みを企む笑みだった。
「セオドアも負けていないと思いますよ」
「いやいや、ぼくなんて、とてもとても。まあ、ぼくはともかく、そんな悪巧みがずっと続くわけがない。二年前、ぼくはやっとあいつを見つけた。あいつは、〈クモ〉を育てる施設にいたんだよ」
 カノンは唇を噛み締めた。
「といっても、ぼくは〈クモ〉を育てる施設で、あいつを見つけたわけじゃない。あいつを見つけたのは、あいつと同じ施設で育った子達が、助けてほしいって、ポルナレフ様お抱えの医師がやってる診療所に駆け込んだときだ。そのとき、あいつは深手の傷を負ってたよ。医師はすぐにあいつを治療したんで、その時の怪我はもうすっかり治ってるから、心配しなくていい」
 カノンの視線の意味を悟ったセオドアがそう言ってくれたので、カノンはほっと安堵の息をついた。
「あいつが治療を受けている間、ぼくは、あいつを運んできた子達から、いろいろ聞いたんだよ。あの子達がいた施設が、孤児院とは名ばかりで、〈クモ〉を育てるためのところだったこと。そこに入れられた男の子達は、幼い頃から、暗殺術を叩き込まれること。厳しい訓練のせいで、二十歳まで育つ男の子は殆どいないこと。女の子達は、訓練を受けないかわり、年頃になったら、若い子を好む貴族に売られること。あいつは、厳しい訓練に耐えて生き残った二人のうちのひとりだったけど、綺麗な顔のせいで、たまたま施設に来た貴族の娘にたいそう気に入られたんで、その娘のところに売られたこと。あいつはその娘を含め、全員ではないけれども、屋敷の者を殺して逃げてきたこと。それから施設に戻ってきて、施設の管理人を殺し、施設に残っていた子供達を連れて逃げてきたこと。安全なところに逃げる途中で、〈クモ〉に遭遇したこと。あいつはその〈クモ〉を殺したこと――クッ」
 最後のところで、セオドアは再び笑いの発作に襲われたため、カノンはまた、彼の笑いがおさまるまで待たなくてはならなかった。
 なるほど、セオドアが笑いを堪えていたのは、三百年前、自分を殺した相手――〈クモ〉を、今度は確実に仕留めたからか。そのかわり、深手の傷を負ったが、早いうちに治療を受けられたので、大事には至らなかったのだろう。それだけは本当に良かった。
 カノンは、アーサーの生まれ変わりである彼が、人を殺したのだと聞いても、その罪に嫌悪感を抱くこともなければ、彼を軽蔑する気にはなれなかった。三百年前の彼も、エレオノーラ王女の偽者として捕まった自分を助け出すために、人を殺めている。誰かを助けるためには人を殺しても構わないと思っているわけではないが、過酷な状況を生き抜く中で、手を汚さないでいられる選択肢がないこともあるということを知っている。
 それにしても、なんとおかしなことだろう。三百年前の彼は、〈クモ〉の手にかかり、死んだ。それが今度は、〈クモ〉を仕留めた。因果応報とは本当にあるのかもしれないと思ってしまう。
 セオドアの笑いがようやく落ち着いたところで、カノンは口を開いた。
「〈クモ〉が生き続けていたのは、代替わりしていたからですね」
「そう。〈クモ〉を育てる施設があり、訓練を受けていた男の子が大きくなったら、〈クモ〉がその子のところに来る。そうして二人を殺し合わせる。そして生き残ったほうが――だいたいは訓練を受けていたほうの子になるんだけどね。新しい〈クモ〉となる。そうして〈クモ〉は生き続けていたわけだ」
 でもね、と、セオドアは、何度目になるか分からない笑顔を見せた。
「あいつは、〈クモ〉になるつもりはないと言っていたよ。ぼくたちが止めようとしていたつもりで捜していた〈クモ〉を、あいつはその手で終わらせたんだ。三百年越しにね」
 そう言ったセオドアは感慨深そうだった。
「ま、そんなわけで、ひとつ、ぼくたちが躍起になっていた問題は解決したわけだ。もうひとつの問題は――分かるね?」
 カノンは頷いてから、セオドアをまっすぐに見つめた。
「セオドア。わたしを、彼のところに連れて行ってください」
 セオドアは笑った。本日一番の満面の笑みだった。
「そのつもりだよ」
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